キャンプと事故②
- sendaigreenassocia
- 2024年6月25日
- 読了時間: 5分
更新日:2024年10月11日
今回はキャンプ中の事故についての続編となります。
私にとってのキャンプベストシーズンは晩秋から冬にかけての期間ですが、多くの方々にとってのベストシーズンは春から秋にかけてではないでしょうか?
特に夏真っ盛りの時期、涼を求めて海や川辺、湖畔などに近接したキャンプ場は多くの人たちで賑わいをみせます。キャンプは自然の中で過ごす(遊ぶ)アクティビティーであり、それゆえ天候の急変など、「自然」がいつ人間に牙を向いてくるかを予測するのは困難です。
水の森公園キャンプ場には、ため池(柵により立入りを禁止しています)やごく小さな小川が流れている程度ですので、水に起因する事故はほとんどありません。一方、全国に目を向ければ、過去にはいたましい事故が多数発生しており、毎年この時期になると、教訓的な意味合いで、過去に発生した事故についての報道を目にする機会も多いかと思います。
その中でも、多くの方々の記憶に残っているであろう事故について書きたいと思います。
「玄倉川水難事故」
発生日 1999年8月14日
場 所 神奈川県足柄上郡山北町
死 者 13名
当時の状況
8月13日
同じ会社の男性社員グループとその家族(子ども6人を含む)、社員の婚約者とその友人からなる一行総勢25人は、玄倉川(くろくらがわ)の中州でキャンプをしていた。※事故現場はいわゆるキャンプ場ではなく野営地。上流には玄倉ダムがある。玄倉ダムは治水を目的としたダムではなく、発電用水の確保を目的としたダム。
15時頃、雨が降り始め、玄倉ダムの管理職員が巡視を開始。ハンドマイクで水位上昇の危険性を警告し、退避を促すと、大部分のキャンパー(行楽客も含む)はそれに従った。一方、事故にあったグループは退避することなくキャンプを続行した。(日帰り参加の4名はその場所を離れ帰宅)
19時30分頃、雨足が強くなり、事故現場5キロ上流の玄倉ダムの放流予告がアナウンスされる。その後、ダム管理職員の2回目の巡視が行われ、中州から退避するよう呼びかけたが、一行はそれを拒否。ダム管理職員は危険と判断したため、警察官から退避勧告を出してもらうよう、警察署に通報した。
20時20分、玄倉ダムが放流を開始。再び、ダム管理職員と警察官が退避を呼びかけ、一行のうち3名が中州を離れ車に避難した。この時点で水流は勢いを増し、直接勧告することは困難であったため、ダム管理職員、警察官はハンドマイクを用いて安否の確認を行っていた。
8月14日
翌14日5時30分、気象庁は神奈川県に大雨洪水警報を発令。
6時頃、前日に中州から退避したメンバーが、残ったメンバーに対して、中州から離れるよう呼びかけたが、熟睡していたのか、テントからの反応は無し。川の水位はひざ下までの深さとなっており、かろうじて渡河可能な状況であった。
6時35分、貯水機能のない玄倉ダムは本格的な放流を開始。
7時30分頃、警察官がテント2メートル付近まで近づき退避を呼びかけるが、反応は無し。警察官は現場から離れる。
8時4分、本格的な暴風雨となり、前日に中州から避難したメンバーが消防に救助を要請。
8時30分頃、中州が水没。急流となった現場は、自力では脱出が不可能な状態となった。すでにテントは流され、一行はパニック状態に陥っていた。
9時7分、足柄上消防組合の本部から救助隊5人が通報を受けて現場に到着。渡渉による救助を試みるものの、激しい水流のため断念。※渡渉・・・河を渡ること
その後、レスキュー隊、警察による懸命の救助活動が行われますが、ここではその詳細は省きます。「玄倉川水難事故」で検索していただくと、事故当時の状況及び検証記事が多く残されています。ご覧いただければわかりますが、救助隊は中州に残った18人のために、文字通り命がけで救助にあたっていました。また、ダムの管理者は決壊の恐れがある中、救助の間5分程度放流を止めるなど、ギリギリの対応を強いられました。
11時38分、水深は2メートル近くに。水位は胸にまでも達し、救援隊や報道関係者の見守る前で18人全員がまとめて濁流に流された。
甥である1歳男児を抱いていた伯父が、咄嗟に子どもを岸に向かって放り投げ、別グループのキャンプ客によって救出される。この子どもの父親と姉を含む大人3名、子供1名は対岸に流れ着くが、残りの13名はすぐ下流の立間堰堤から流れ落ち、以後は姿が確認できなくなった。
19時頃、丹沢湖で女性2名の遺体を収容。
8月15日
7時頃、警察、消防、自衛隊の救助チームが対岸に流れ着いて夜を過ごした4名(31歳男性と5歳の娘、31歳男性と29歳男性の兄弟)の救助を開始。
8時30分頃、救助チームが対岸の4名を救助。
午後、丹沢湖で2遺体発見。翌日より警察、消防、自衛隊は340人体制で捜索を開始。大雨により流れ出した流木など浮遊物が多く、捜索は困難を極めた。
・・・・・・
8月29日
これまでに12名の遺体を収容。事故発生から15日後、自衛隊による捜索活動の打ち切り直前になり、最後まで行方不明だった1歳女児の遺体を発見。
以上が事故の概要となります。
急流にのまれた18人のうち、13人が亡くなるという、過去に例を見ない水難事故。当時、事故現場上空には取材のヘリコプターによる空撮が生中継で全国放送されるなど、多くの国民が固唾をのんで見守っていました。
また、事故後には原因の検証、警察・消防の対応、レジャーにおける自己責任のあり方など様々な議論が繰り広げられました。
この事故から何を学ぶのか?今回は私なりの意見・感想はあえて控えさせていただきます。この記事を読んでいただいた皆様が、アウトドアアクティビティーにおける危険予知・回避について考えるきっかけとなればと思います。

※写真は本事故と一切関係がありません。
この事故は痛々しい現場がテレビで放送されていました。ネット界隈ではDQNの川流れなどと比喩されて非難されていましたね。地元の人や当局の注意・警告を無視しての大惨事だったと思っています。河川敷でのキャンプには特に水量には注意が必要ですね。